ラジオシティの歴史

1960年代の初期に、炉やエンジンなどの装置でどのように設計が実行されるかを確認するため、サーフェス間の放熱移動をシミュレートする方法が開発されました。これをもとに1980年頃コンピューターグラフィックの研究者たちはライトの伝播をシミュレートするため、これらの技法の応用を研究し始めました。

  この流れとは別に1980年にレイ・トレーシング法( ray tracing algorithm )と呼ばれる画像生成アルゴリズムが発表され、写真に近い画像制作が行えるようになりました。それは、あまりにもリアルすぎる硬い表現のCGだったそうです。

  そして4年後の1984年にサーフェス間の放熱移動をシミュレートする技法をもとに、光の伝播をモデル化するラジオシティ法(radiosity algorithm )が発表されました。レイ・トレーシング法では「視線を追いかけて物体の明るさを決定する」のに対して、ラジオシティ法では「物体が放出する光エネルギーから物体の明るさを決定する」ので、光線の2次反射、屈折、ぼやけた影の表現が可能になりました。

  ラジオシティは、光の2次反射以降を計算し、間接照明効果を表現できる新しいアルゴリズムとして世に出ましたが、当時この手法を計算するには、家庭用普及型のPCではラジオシティの計算にかなりの時間を必要とした為、設備の充実している一部の研究機関や大手プロダクションが利用するのみだったようです。

  ラジオシティのアルゴリズムは、基本的にまず、シーンのオブジェクトのサーフェスを細分化し細かいメッシュ(要素)を作ります。次に、作成したそれぞれの要素に他の要素から分配される光の量を計算します。その結果得られた値を、メッシュ毎に保持します。

  このラジオシティ アルゴリズムの初期バージョンには、メッシュエレメント間の光の分配を完全に計算し終えるまで画面上に有効な結果を表示できないという大きな問題がありました。1988年、この問題を解決した、プログレッシブリファインという技法が発表され、結果を即時に画面に表示できるようになりました。さらに、この技法では表示結果の精度と画質を連続的に改良していく事も可能です。

  そしてさらに、1999年に確率緩和ラジオシティ(SPR)と呼ばれる技法が発明されました。

  ※SPRアルゴリズムは、Autodeskが提供する3ds Maxに代表される商用ラジオシティシステムの基礎を形成しているそうです。